父の事

父のことを考えてみる。精神科医である父は70を過ぎた今も現役で仕事をしている。
医師であり、研究者でもある父は、仕事上は滅法評価が高く、そして、家族の中において私の癒しでもある。
 とにかく優しい人で、声を荒らげる事もほとんどない。2人でいるといたって、優しい時間が流れる。
 彼にとっては孫である私の二人の息子に優しく、おじいちゃんの事を息子達は大好きだ。
 
しかし、母によると、父は若い頃から浮気を繰り返していたそうだ。事実なのかどうかはわからないが、もし真実であったとしても、私は責める気にはならない。
あの母が妻では心安まる時はなかったはずだ。
もし愛人がいて、そこで安らげるなら逆に安心なくらいだ。

優しすぎるゆえなのか、とにかく争いごとは嫌いな父。
幼きころから、母が私や姉ともめると、子供たちの話は一切聞かない。
とにかくママに謝りなさいの一点張り。

パパがこんなに頼むんだったら、と渋々あやまことで、母はどんどん帝王化していったようにおもう。


姉の失踪再び

姉が発見されて一夜。
夜ご飯はあまり食べなかったらしいが、朝ごはん、昼ごはんはよく食べたらしい。

夕方から海外からのお客があり、ホテルで会食。置いていくわけにもいかず、姉も連れていったそうだ。

新しい帽子を買ってやったようだ。
姉が選んだのは3万の帽子。
高いよと母は言ったそうだが、いいからいいからと言われ、買ってやったと。

ホテルで夕食をとり、姉はトイレに立った。

そして。再びいなくなってしまったようだ。

姉が一人暮らししていた部屋は、鍵がないのでは入れない。
管理の会社は休日で不在なようで、合鍵を作ることもできない。

姉が失踪した時に、警察の立会のもと、姉の部屋に入った際、コンセントというコンセントの穴にはガムテープがはってあったそうだ。
姉は何かに監視されていると思っているのだ。

保護した際になぜそのまま入院させなかったのか。
理解できない。
姉は何かからまた逃げてしまったのだ。

そしてまだ見つからない。

姉の発見

両親は失踪した姉の滞納している料金を払い、警察に捜索願いを出した。

なんの手がかりもなかった。
部屋から、テレビと羽根布団、電気スタンドと、写真立てがなくなっていたそうだ。
写真立てには、子供の写真。
ただし、自分の子ではない。
留学していた時のステイ先の子供と、ホームステイしていた先の子供。

不明になってひと月が過ぎた頃、警察からの連絡があった。
姉が保護されたと。

発見された場所は、一人暮らしのマンションのすぐそばの公園。
深夜泣いていたところ、保護されたと。

鍵をなくして、1ヶ月。
部屋に入れなかったと。
鶏ガラのようにガリガリにやせ、そして真っ黒。
冬服のまま。
ジバンシーのコートをきて。

昔の記憶2

昼寝から目覚めた私。

誰もいなくて、よく大声で泣いた。

大声で泣きわめいて、諦めた。

諦めたころ、母がかえってくる。

今まで抱きしめられたことはない。

大好きだよっていってもらったこともない。

だから、私は二人の息子を毎日抱きしめて、
毎日大好きだよっていう。

心がザワザワする

最近、心がザワザワとして、叫びだしたくなる。
いろんな過去のことを思い出し、現実も目の当たりにして、頭抱えて、大声で叫びたくなる。

笑えなくて、自分が嫌になって。

良き母にも良き妻にもなれない自分が消えたくなって。

でも絶対死んだり、消えたりしない。
息子を悲しませたくない、それだけの思いだけ。

なぜこんなにザワザワしているのか。

4つ年上の姉が、失踪したからだ。

姉の失踪

姉は結婚15年で、昨年二度目の離婚をした。
一人息子の親権は手放した。
いらないと言って。

そして両親の元に帰ってきたが、
姉は荒れ狂っていて。
そしていくらかの貯金をもって、一人暮らしを始めた。

姉は何かの病気じゃないかと私は思っている。
何年か前から妙なことを言うようになった。
前前夫からストーカーされている。
宇宙の衛星を使って今も監視している。
前前夫の息子(バツイチで子連れの再婚だった)は、今全夫の再婚相手から虐待されている。
自分は常に監視されている。
盗聴器がある。携帯に盗聴器が仕掛けられているといって1週間で3台くらい携帯を変えたこともある。

その時私は姉は精神の病気であると思うので、診察を受けた方がいいと言った。

母はパパは病気じゃないと言ってるから病気じゃない。といって受診はしなかった。

これが父が素人であれば、なんとか私ももっと言えたと思う。
しかし。
父は精神科医なのだ。
たぶん父はわかっていたんだろうと思う。
ただ、事なかれ主義の父だし、それに身内に精神の病が出て欲しくない願望もあったんじゃないかと思う。
あれは性格だ、の一点張り。
そして医者でもない私の言うことは、ろくに聞いてもらえなかった。
あれが5年は前のことだと思う。

そして。
先月あたり、離婚して戻ってきた姉は、一人暮らしのマンションから忽然と消えた。
マンションの家賃や携帯や光熱費を滞納して。


昔の記憶

一番昔の記憶をたどる。

ベビーベッドの柵から母が見える。
母が私のお気に入りのブランケットを持ってきてくれるところだ。

赤ちゃんだったころから、母に添い寝してもらったことがなかった。
私は生まれた頃から、子供部屋のベビーベッドで寝ていた。

私に息子が生まれ、同じ部屋で寝ていると知ったとき。
そんなことはやめなさい。
子供はひとりで寝かせなさいと何度も言われた。
あんな小さなかわいい息子を一人ぼっちで寝かせるなんて無理だった。
それに夜中何度も泣いて起きるから、そばで寝ている方が都合もいい。

泣いたら泣かせておきなさい。
そのうち諦めて寝るんだから。

新米の母だった私は、子供が泣いてるならいつだって手を差し伸べたかった。
泣いてる理由がわからない時も何度となくあったけど、それでもいろんな方法で子供が落ち着くまで、抱いていた。
そばにいた。

そんなことをしたらワガママになるだけだと言われたけど。